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Posted by さがファンブログ事務局 at

2010年01月28日

郷土史愛好会 1月現地探訪

丸の尾城と日鼓城の盛衰(若木百年史442頁)
 丸の尾とは、皿宿大師山の少し北の方の平らな山並みにありて、渋江公勢の子公親はこの城にあり、日鼓城没落後荒れ果てていたため、岸岳城波多津氏のところから来たり、日鼓城を改修するために2年余りをこの城で過ごし、日鼓城完成するや入城している。
 城の尾から見下ろす処、小路侍小路と称して居る。当時二千余の武士が居を構え相当栄えた小路らしい。同城の一の門とかは川古宿にあったとか聞く。尚小路耕地整理事業当時五輪の塔や墓地などが掘り返されしとか、現在でも大師山一体には相当昔の武家の墓が散在して草むらに見られる。また、五輪の塔も一、二個残っている(緒方国三記)

天文11年(1542年頃)のこと


丸の尾城の痕跡求めて、丸の尾と呼ばれる山を登る
(若木エコ・ヴィレッジ桜ヶ丘の奥の山)



登り口には昔、堤からつながって 城跡と思われる空堀があったという。

道々、聞く昔話。
中学校の農業体験の場所だったこと
長崎で原爆投下があったとき、ラジオでの放送を聞いて、
この山まで走って逃げてきたこと

密集した人工林のしたには何もなく
乾いた土と、落ち葉と、倒木が転がっている


畑の跡の石積みが残る

時々、石をひっくり返しながら



頂上周辺は、登ってきた林と違い、シダが密集していて、地面が見えない。
残念だがなにも確認出来ない。



これだけ、植林されていれば、史跡があればどこかに保存されていると思う
願いもむなしく、本日は発見に到らず。

下り道、気になる石を発見。


そして、そのそばにあった境木の巨大な姿を拝み、丸の尾を下りる。


『この木は城の入り口に立っとったとけ~のう』
江越さんがつぶやく
『えっ!本当ですか?』きょろきょろ
『あははは~冗談たい』

・・・おちゃめな、江越会長です・・・


そして、丸の尾と農協や郵便局をはさんで反対側に位置する山へ登る。
車で入れるところまで入って、あとは歩き。

皿宿区の人たちの畑(だったところ)が道沿いに。
登り道には九州電力の鉄塔までは、階段なども整備されているが
鉄塔から先は、両側が急な斜面となっている峰を歩く。





ぽかりと現れた空間に、『八幡大菩薩』 小川判太夫 と刻字あり



『ここに大きか、松の木のあったばいね』
『こいは、カキノキゼの石ばい』
『どがんして、ここまで持って来たとやろうかのう』

そこからさらに100メートルほど南へ 不思議な石像 (これにも小川半太夫の文字)

興味深く、みんなで見ましたが、他にはなんの刻字も見えません。

江越会長も何を祀ってあるかわからないそう。ご存じの方は教えてください。


狐または猫のような四つ足の動物の上に座っている人
曲がった太刀を持ち、変わった帽子をかぶっていて、頭のまわりには法輪のようなものが見えます。


『高いところに祀ってあるのは、昔のひとが何事にも、天に感謝ばしよらしたてことばい』

忘れないようにしなくては。


山を下って、馬渡商会の工場近く

『なきびす地蔵』

その奥には、防空壕が掘られていたそう。
役場の資料を収めるために計画されていたらしい。


大神宮碑(右)と大日如来(左)

その隣には、墓地があり、
昔の無縁仏を納めたところもあった。そのすぐそばに
『脳の神』と呼ばれる石塔。
・・・写真なし。
若木町内にも、数カ所、『脳の神』がいらっしゃるそう。参拝者も多いらしい。


今日も、天気に恵まれ、ケガもなく、感謝。

次回は3月中旬頃の予定

  

Posted by つちのや at 15:01Comments(0)若木町のすてきなところ